「整体」から「調和体」へ
部分に全体の情報が含まれている
目を引いた「健康」の定義
2004年の病気と事故をきっかけに、人間の心と体について考えるようになってから、「健康」に定義のあることを初めて知りました。なかでも目を引いたのは、WHO(世界保健機関)が1999年の総会で提案した定義で、それによれば、
健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない
とあります。英語で言うと、身体的がphysical、精神的がmental、霊的がspiritualに当たります。それを見た瞬間、ホホ~と思いました。「体」と「心」に「霊」という言葉が加わっていることに、新鮮な驚きを感じたのです。もっとも、熱心な宗教信者でもない我が身にとっては、「霊的」といわれても、どこかピンとこないところもありますし、実のところ、「霊的」がどういう意味合いで提案されたのかの詳細も知りません。それでも、何かこの言葉が、気功でいうところの「天人合一」の考えに近いものがあるような気がして、興味を覚えました。
ホログラフィーの原理
そして、物理学の世界でホログラフィーという原理があることを知って、いっそう関心が増しました。ホログラフィーというと、映画のスター・ウォーズに出現した空間立体映像が以前、話題にのぼりましたが(You Tubeを見ると、いまやスマホを使ってホログラム映像を映し出すやり方が紹介されていたりして、ビックリしてしまいます)、そのことよりもむしろ、「部分には全体の情報が含まれている」という、その背景にある考え方に大いに魅せられたのです。
そう、部分は全体の一部、断片であって、全体を網羅もできなければ、見通すこともできないという、そんな卑小なものではなく、部分に全体が反映されている、部分を見れば全体がわかる、部分は全体なんだ! というのですから、なんとも画期的、驚きの考え方です。
しかも、単なる考えにとどまらず、いまも紹介したように、このホログラムの原理を使って、立体映像を現に目の当たりにしているのですから、これは興奮以外のなにものでもありません。
東洋医学では大いに活用
そして、この原理は、なにも立体映像の分野に限らず、東洋医学の世界では面白いことに、施療の現場で古くから今日に至るまで大いに活用もされているのです。
鍼灸師さんなどがよく用いる脈診は、手首に触れることで、その人の体全体の健康状態を探ろうとします。同様にして、舌診というのもあります。さらには、眼診や耳診(フランスのノジェ博士が有名)もそう。高麗手指鍼といって、手掌、手背、手指で、全身の状況を読み取って施療に活かそうとするものもあります。また、似たようなものに、反射区というのもあります。リフレクソロジーという言葉をどこかで耳にされたことがあるかもしれませんが、足裏反射区療法は、足にある反射区を使って、体全体の不調を取り除こうとします。こうした様々な見立てや療法は、部分に全体が反映されているとの見方の応用例ともいえるものでしょう。
当初、気功・整体を学んだ東京療術学院でこの種の話を断片的に聞いたときは、まだホログラフィーの原理といったことにまでは深く思い至っていませんでしたから、ヘェ~、そんなこともあるのか、とそのつど興味半分に聞いていたのですが、いざ施療の現場に立って、自分なりに応用して手技に活かしてやってみると、案外に当たっていることがあるのを少なからず実感し、結構驚かされるのです。
なにより、この、部分から全体にアプローチする療法は、不調が発生している部位に直接触れなくとも、ある意味、離れた遠くの部位から施療の効果を及ぼすことができるという点で、体にやさしい療法の実現にも役立ってくれています。
人は癒されるようにできている……
以上、ホログラフィーに関係してアレコレ述べてきました。こういうふうに見てくると、はなはだ能天気に飛躍し過ぎかもしれませんが、元来、人は癒されるようにできているのではないか、そのように護られているのではないか、とすら思えるようになってきました。なにしろ、部分=全体、全体=部分なのですから、大自然、大宇宙が全体だとすれば、その構成要素の一部分である人間に、大宇宙の恩恵、癒しの力が及ばないわけはないのですから……。問題があるとすれば、人間の側で、それが及ぶように、心と体を整え、調和していくことだと個人的には思ってもみるのですが、どうでしょうか。
話が脱線しますが、気功やヨガというのはその整体、調和体に近づく極めて優れた方法論として、数千年の歴史を経て、現在に伝承されているものではないでしょうか。
また、療法ということでも、目を世界に転じれば、中国には気功療法があり、インドにはアーユルヴェーダ、ドイツでは波動医学、イギリスのハーブ療法やオーラソーマ、アメリカのカイロプラクティックやオステオパシー、フランス等のアロマテラピーなどなど、さまざまな方法が人々の心身の不調の克服、解消に用いられていると聞きます。日本でも、統合医療や代替医療の研究が厚生労働省等を中心に進められているようです。人を心身のストレスや悩みから救い、癒すために、非侵襲的、安全で、有効と思われるものについては、世界のこうした活動にも目を開き、やはり受け入れるべきは受け入れて、前向きに取り組んでいくことが望まれます。
「調和体」をめざそう!
大自然の構造
話を元に戻しましょう。整体、調和体ということに関連して、もう一つ、ぜひ触れておきたいのは、大自然の構造がどうなっているか、ということです。といっても、物理学者でもない私に、難しいことはチンプンカンプンわかりませんが、ただ、見たり、聞いたりの生噛りの知識を元にして臆面もなく言わせていただくと、宇宙はどうやら相似形で成り立っているらしいのです。宇宙‐星雲‐銀河系‐太陽系‐原子‐素粒子……、それらが、似たような構造で渦巻き状の運動をしているようです。
そして、私たちが物質とか生命と呼んでいるものも、元をただせば、分子、原子、原子核から成り立っている存在にすぎないようです。たとえば、私たちが住む地球は、ケイ素、鉄、金などの金属類で構成され、私たち生物の体は、タンパク質や脂肪、水、カルシウム等から構成されているそうです。そうしてそうした構成要素となっている物質は、すべて原子からできており、原子は原子核とその周りを回る電子から構成されているということです(いやー、学生時代を思い出し、大変懐かしいです)。
私たちの体の材料になっているタンパク質についていえば、タンパク質は炭素、酸素、水素、窒素の各原子が集まりアミノ酸となり、それがさらに寄り集まってできたものだそうです。
ちなみに、いま目の前に鉛筆の芯とダイヤモンドが置かれているとします。アナタは、どちらが欲しいですか。一般的に、人は、ダイヤモンドというと目の色を変えて所有したがりますが、鉛筆の芯にはあまり関心を抱かないと思います。しかし、鉛筆の芯の元となっている黒鉛は、実はダイヤモンドと同じ元素(原子の種類)から成り立っており、両者の違いはただ、物質を構成する粒子がどのように集まっているかによる違いでしかない、というのですから驚きです。ミクロのレベルでのほんの小さな小さな違いが、目の前にあっては、一方は無色,透明の電気を通さない硬い結晶となり、他方は黒色の電気を通す不透明の柔らかい結晶という大きな差異を生んでいるわけです。
同様のことは、生物と無生物の間にもあって、両者の差異は、鉱物であるダイヤモンドと黒鉛以上に大きく見えますが、究極のありようとしては、どうやら同じようなことらしいのです。本当に、ビックリです!
つまるところ、私たちが確かに在る、と信じて疑わない物質や体ですが、これを(大昔の映画に「ミクロの決死圏」というのがありましたが)ミクロのミクロの超微細サイズになって見通すと、なんとスカスカで、ただ電子が原子核の周りを回っている、という状態がコトの本質であるようです。
しかも、話は、それだけに止まりません。量子力学という学問分野によれば、全ての物質は「粒子」という粒でできているのですが、それはまた「波動」でもある、というのです。つまり、粒子という姿、形をもつ物質は、一方でそれを成り立たせている波動、いわば物質化していないエネルギーのような性質も併せもつらしいのです。波動ですから、それは波長と振動数をもち、伝播するということになります。ひょっとして、先の項で触れた水晶によるダウジングとか、O‐リングテストやFT(フィンガーテスト)が意味をもつ、というのも、こういうことと関係しているのでしょうか。よくはわかりませんが、もしそうだとすると、どこか辻褄が合うような気もします。
話がだんだん込みいってきて、頭がクラクラしそうです。クラクラといえば、「般若心経」という仏教の有名な経典があります。その一節に「色即是空、空即是色」という言葉が出てきます。これなんかも、初めて接したときは、同様にクラクラした憶えがありますが、「色」が物質で形のあるもの、「空」がエネルギーで形のないもの、として、あえて訳せば「形のあるものは、実は形がなく、形がないものが実は形になっている」ということになりそうです。いまの原子と物質、生命の関係と併せて見れば、なにやらほんの少しはわかるような気もしてくるのですが、いかがでしょうか。
そしてそして、クラクラついでにもう一つ。この、いま述べたミクロのミクロの物質、エネルギーの構造は、先の相似形のくだりで述べたように、なんと太陽系、銀河系、星雲、宇宙へと、そのままつらなっているらしい、というのが学問の定説?のようです。実に気宇壮大で、大きな感動以外にありません……。そう!!! 何というか、モノのありよう、成り立ちとして、全てがつながっていたのです!!! 古くから気功や東洋哲学の見方が示すように、また、近年の科学的な見方がそれを裏付けるように……。
細胞レベルから癒す
大自然の構造について、かいつまんで私なりに紹介させていただきました。あえてこういう、大変苦手な分野について話をしましたのは、いま私たちが存在する世界は、一見茫漠として掴みどころがないようでも、そこにある種、規律ある調和されたものがどうやらあるらしい、ということをお伝えしたかったためです。
そして、心より夢想して願うのは、まず、私たち一人ひとりが、ミクロの細胞レベルから始めて、その大元の原子の回転構造を滑らかで調和された状態に保ち、健康になること。それを体全体、身心の調和へとつなげ、ひいては宇宙の調和へとつなげる。そして、全宇宙が調和のなかで和している、そのような状態を実現していくことです。
これは、「ニコニコ太一気功」という姉妹サイトでも紹介していることなのですが、「易経」という中国の古い経典によれば、天(純陽、万物を生成する元気)は元々、円満で充足し、健やかなるものであり、地(純陰)が天の徳をそのまま一切、無条件に受け入れるとき、全ては安らかである、といいます。私たちが、よく心身を整え、全宇宙の命と調和してあるとき、はじめて「自然治癒力」がその大いなる力を発揮してくれるのではないでしょうか。
そして、そのためには、やはり自ら瞑想、坐禅、動禅といわれる太極拳をして、心身を静謐な状態に導き、天地とつながることが欠かせないのではないか、と今は感じています。