この道を志したきっかけは

この道を志したきっかけは

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敗血症一歩手前!

 <えっ、何か間違っているんじゃないの??> そんな思いに強く囚われたのは、2004年に遭遇した2つの事件がきっかけでした。

ちょうど5月の連休に入る数日前の明け方4時頃、心臓に圧迫感を覚え、動悸と高温発熱でたまらず、目がさめました。それでも、当日は締め切りのある仕事を抱え、無理を押して、出社しました。しかし、翌日にはもう無理は一切ききませんでした。これまであまり病院のお世話になるということはなかったのですが、このときばかりは、母親がこれまで何度かお世話になったことのある地域の個人病院のかかりつけ医に連絡をとり、診てもらうことにしました。

すると、診断の結果、顔なじみの先生から、即入院を命じられてしまいました。顔の頬辺りに虫刺されの傷があり、腫れていたのですが、抵抗力と免疫力が極度に低下していて、細菌が血液に素通りして入り、敗血症一歩手前の状態で、極めて危険!との見立てでした。

早期の迅速な措置のおかげで、連休明けにはどうにか会社に出れるようになったのですが、体は今一つ不安定な状況が続いていました。見かねた社長が、会社の近くの大きな病院に予約を入れておいたから、そこでちゃんと診てもらえ、ということになりました。

冒頭の<えっ、何かおかしいのでは?>は、というのは、そのときの大病院での体験です。

 なぜ、人間の体を部分、部分に区分けして診るの? 

大病院に足を運んではみたものの、何科を受診したらいいか、よくわかりません。要するに、体のあちこちに違和感がありしゃんとせず、どこから診てもらったらいいのか、判断しかねたのです。受付に相談すると、それではまず内科を受診してください、ということになりました。

しばらく待たされ、ようやく先生に診てもらったのですが、症状を聞かれて、内科以外のことを尋ねると、とたんに嫌な顔をされ、それは耳鼻咽喉科なり皮膚科のそれぞれの専門科を受診して相談してくれ、と告げられ、とりあえず薬を出しておくから、それを服用するようにと言われました。

 <人間の体は一つなのに、なぜ臓器だ、耳だ鼻だ、循環だ、形成だ、と専門が分化して、患者は専門ごとに担当の診療科に出向き、そのつど個別に相談しなければいけないのか……>

そのことが腑におちませんでした(いまでこそ統合医療の大切さが指摘され、この面での対応が進んでいるのは大変に喜ばしいことです)。

交通事故に遭遇!

もう一つの事件は、同じ年の11月、今度は、交通事故に遭遇してしまいました。

雨の日の夕方、帰宅の途次、青信号で横断歩道を渡っていると、左手後方から車が突っ込んできて、接触事故に巻き込まれてしまいました。間一髪のところで、右膝を軽く打撲出血したぐらいですんだのですが、このときも何度か足を運んだ折りのまだ若いお医者さんの対応に<?>を感じてしまいました。

レントゲン写真を前に、あれこれ質問を重ね(なにしろ雑誌と書籍編集の経験を長く積んでいますから、ついつい好奇心の赴くまま尋ねてしまいます)、なぜレントゲンで異常はなくとも、痛く重苦しい感じが残るのですか、と話の流れのなかでお聞きしました。すると、「精神科を……」。やはり専門科以外のことは聞かないでくれ、といわんばかりの対応です。

このことにも<??>を感じてしまいました(もっとも、これもいま思うと、待合室に多くの患者を待たせ、重度でもない限りはいちいち懇切丁寧に対応してばかりもいられない、ということがあったかもしれません。また、自分の守備範囲である専門のことは責任をもってコメントできるが、守備範囲でない専門外については無責任なことは言えないという、それはそれで真摯な態度の現われであったかもしれないと、少しばかり反省しています)。

 なぜ、型通りなのか、通り一遍なのか

そして、この事故に関連してもう一つ。指圧と整体の診療所を生まれて初めて受けたのですが、驚いたことに、指圧の診療所では「どうされましたか」という質問もなく、足から頭まで全身の施術を、マニュアルか何かの手順どおりにやって終わり、という感じ。

このあと受けた別の施療所では、患部を中心に手慣れた感じの施術を手っ取り早く済ませた後、次はいつ来ますか、と当然のように予約帳への記入を求められてしまいました。これにも、どこか<?>を感じました。

<なぜ、こうなんだろう? 何かが変なのでは>……

そんなこんなの体験を経るなかで、なぜ虫刺され一つでこういう事態を招いたのか、という反省とともに、人間の心と体は、いったいどうなっているのか、医療の実際はどうなのか、ということにも強い関心を抱くようになりました。

 整体学校の門を叩く

こうして翌年、かつてないほどにあれこれ真剣に考えた末、これからの人生をこの、人の心と体の探求と、健康に関わる問題の解決、という新しい道に進むことを決意しました。

その決心を会社に告げたところ……、驚いたことに、会社勤めをしながら、勉強してはどうだ、という破格ともいえる大変に温かい措置をとっていただくことになったのです。このことについては、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

妻と一緒に東京療術学院という、授業が休日、夜間もある整体学校の門を叩いたのは、それから暫くしてからのことです。2005年、進が58歳を迎える年でした。

入学時に整体学校に提出した「療術師の在り方について」という課題作文をいま一度振り返って見てみると、その冒頭に、下手くそながらも当時の心境を率直に記した句があります。

「此の道に還り 歩み始める 還暦二年前 ときめきと 揺るがぬ覚悟と」

また、いささか気負った心境を吐露したこんな文章にも出くわし、懐かしく読み返しました。

「これから気功整体の道を学ぶ者として、残念ながら、いますぐ『療術師の在り方』について即答する用意はありませんが、唯一つ、直感的に言えるのは、病いとは気づきであるがゆえに、“病気”(部分、対症)を診るのではなく、“病人”(全体、根本)を看ること、そして“医学”(学問)ではなく“医療”(癒すことは癒されることであるという自他同一の関係性)こそが大切なものであると胸に刻んで、取り組んで参りたいと考えています」

⇒ 気功・整体学校の3年間で学んだこと